僕はこの世の食べ物でトップクラスで、鯖の味噌煮が嫌いです。なぜそんな大きい事が言えるのか。今回はそんなお話をします。あき竹城のお話と違って、今回は実話です。
結果から言うと小6の時に起きた「鯖の味噌煮事件」のせいです。俺が勝手にそう呼んでるだけですが。
今でこそ多少はマシになりましたが当時はただひたすらに偏食が酷かったです。
原因は祖母です。自分の偏食を他人のせいに、ましてや身内のせいにするなんて責任転嫁もいいとこですが、仕方のない事です。
というのも、俺の祖母は「嫌いな食いもんなんて無理して食うもんじゃない」というのをまるでモットーにしてるかのような人物でした。
年齢から考えれば、なんらかの形で戦争を体験してる筈なのに、「嫌いなものを無理して食うのはその食べ物に対しても失礼」なんて、今になってよくよく考えてみればめちゃくちゃな事言う婆さんでした。
しかし、そんなめちゃくちゃ婆さんの言うことを俺はめちゃくちゃ信じていました。幼い俺に親父が風呂で「亀の甲より年の功」なんてことわざを教えたが為に、そのことわざの意味を曲解に曲解を重ねて覚えた俺は「この世界で婆ちゃんより偉い人間はいない」と本気で思ってました。
結果として俺は婆さんの思考をそっくりそのまま引き継いだクソガキになりました。
呆れる両親と爺さんを横目に、俺と婆さんは好きなものだけを食べ続けました。
一回、爺さんが俺にブチ切れたけど、俺が婆さんを盾にしてしまったのでただただ還暦超えた夫婦が飯のことで喧嘩してるだけになりました。
そんなこんなで立派な偏食家となった俺は小学校の給食でも相変わらず、嫌いなものは友達にあげたりしてました。
こっちからしてみりゃ、嫌いなもんは食わなくて済むし、友達に感謝されるしで一石二鳥。
もちろんそんな状況を担任の先生が許す筈もありません。
今でも覚えてるのは、小2の昼休みに、「どんな食べ物でもそれぞれ違った栄養があるんだから、なんでも食べなきゃダメ」と担任の女の先生に言われた俺は、何日か前にテレビでイモムシを食べる国もある、ということを学んでいたので「じゃあイモムシにはどんな栄養があるんだ」とロクでもねぇ屁理屈飛ばした事です。
小4の担任、大阪出身の50代のおっさん。
これがまた俺の人生の中で出会った人物の中でもトップクラスに入るほど変わった人間で、黒板の隅には大量の缶コーヒーのおまけのAKBのマグネット。教室の壁の至る所に阪神、侍ジャパンのタオル。学校行事にはとにかく燃えて、運動会の学年ごとのダンス、6年生を送る会の出し物なんかは自分がプロデューサーじゃないと気が済まないような人。
でも、大阪出身だけあってユーモアのセンスはすごい。授業も面白いし、普通にしてればいいおっちゃん。
しかし、ただのいいおっちゃんという訳にもいかず、まぁやっぱり性格に難あり。
絵具を忘れた児童を隣の空いてる教室に集めて10分くらいかな、授業中にも関わらず説教。そのあとその子たちを置き去りにして授業再開。残された子たちはどうしていいかわからず、廊下に整列。それを見たおっちゃん大激怒。
「なんでお前ら入ってこんねん!廊下に並んでる所なんか誰かに見られたらどうすんねん!!俺の首が飛ぶやろ!?!?」
当然俺にも刃が向きます。あろうことかこのおっちゃんは婆さんと考え方が正反対。すなわち俺とも正反対。「給食を残すことは絶対悪。食うまで休み時間無し」昭和みたいな考えの人間でした。実際昭和の人間だし。
しかし俺だって並大抵の根性で偏食やってるわけではないので猛抵抗。友達にあげてその友達が俺の分まで食べてしまえばこっちの勝ちです。後から食え食えとおっちゃんが騒いでも、食うものがないので無意味。
すると、とんでも無いことを言い出しました。
「お前がこんなに好き嫌いが激しいのは何かの病気に違いない。俺が医者見っけてやるから行ってこい」と。
連絡帳にその旨を書かれ、以前から婆さんと俺に手を焼いていた親は「なんて熱心な先生なの。」
俺からすれば「ただのお節介クソジジイ。」
そして本当に市内のそこそこでかい病院で診てもらうことになってしまいました。よくわからないですが、専門の先生っぽい人のところ行って、
医者「なにかアレルギーとか?」
親「いいえ。ただの偏食です。」
全くもって無意味にしか思えない問診のあとは採血。
血なんか採って何がどうわかるのか知りませんが、結構採られました。
ほんで結果。
身長・体重共に標準範囲。偏食も所謂好き嫌い。まぁ年齢とともに食べれるようになるでしょう。異常はありません。
当たり前だろ。んな事自分が一番よく知ってるわ。
大の大人が何まじになってこんなくだらないことしてんだか。
親は「異常が無いんじゃ仕方ないねェ」で済んだけど、あのお節介クソジジイは納得しない可能性がある、と言ったらお医者がお手紙書いてくれました。
学校行ってその手紙叩き付け。そしたら今度は「俺が変な医者紹介したのが悪かった」
わざわざお手紙まで書いてくれたお医者を変な奴呼ばわりされてキレそうになったけど、それ以来、前と比べればそんなに文句を言ってこなくなったので安心して友達に嫌いなもんあげてました。
ただこの一件からおっちゃんの事は大嫌いになりました。
俺の周りの人間も、この人に関しては、好きか嫌いの両極端でした。
小5の担任は小1でも持ってもらったオバちゃん。まる子のお母さん似。
口うるさくないって事はないけど、給食の事はノータッチのいいオバちゃんです。
そして、迎えた小学校ラスト。まさかの、担任はあのジジイ。
しかも2年前の腹いせかと言うほど俺に執着してきて、給食中ずっと監視される始末。
んな事気にしないで飯を友達にあげたもんにゃガチギレ。流石の俺でも参ってきました。
でも変な所が異常に負けず嫌いな俺はここでくじけたら負けだと思いキレられようがとりあえず徹底して嫌なもんは食わない。
そしたら最終的に
俺だけジジイの目の前で給食食うハメに。
先生用の机があって、その机と向かい合わせで俺が飯食う。
もうさ、バカバカし過ぎて。これ下手したらなんか問題になりそうだよね。
この瞬間俺はこのジジイはどっかがオカシイのを確信して、変な意地張らないようにしました。ある意味このおかげで、一時的に偏食は治りかけました。
しかしある日の給食。おかずが鯖の味噌煮。
なにこの見た目。臭い。
好きな人には申し訳ないけど、マジで無理なんだけど。
いや待て、今の俺ならイケるかもしれない。
箸で一つまみ食べる。
あ。無理だ。
これは無理。
ふと視線を少し上げれば「おう、どうした?食えるやろ?」
パワハラ。
ずっと監視されている。
食わず嫌いの偏食じゃなくて、これは本当に苦手。
ジジイ、自分の食器を片付けに行く。
占めた、今しかない。
その瞬間、俺は何も迷わず、鯖の味噌煮を手づかみで、そんとき履いてたズボンのポケットに、ぶち込んだ。
手をティッシュペーパーで拭きまくって。
ジジイが帰還して俺ひとこと。
「食いましたよ(大嘘)」
「おぉ、よう食うたな」
お魚さんごめんなさい。
漁師さんごめんなさい。
給食のオバちゃんごめんなさい。
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子どもってさ、すぐ忘れるんですよ。
喧嘩してもすぐケロっとするじゃないですか。
俺も、ポケットに鯖の味噌煮突っ込んだことなんて、休み時間ドッジボールしたら忘れちゃったんですよ。
家帰って、その日は誰かと遊ぶ約束もしてなかったので、適当にゲームして過ごして、そんなことしてる間にもポケットに鯖の味噌煮はいたんです。
風呂入るときにズボン洗濯機に入れて。
もう鯖の味噌煮の事なんてひとっかけらも覚えてないです。
次の日、学校から帰ったら、家族の洗濯物になぞの粉が降りかかってる。親に「お前だろ」と。
なんだこの粉。へんなの。知らねぇよ。
何気なく臭い嗅いでみる。
信じられないほどくっせぇの。
あ。鯖の味噌煮だ。
鯖の味噌煮と、洗剤と、柔軟剤が、混ざりに混ざるとこんな臭いになるんだ。
小6のとある日に、こんな大発見をしてしまった俺は、鯖の味噌煮を拒絶するようになりました。
以上が「鯖の味噌煮事件」です。
ありがとうございました。